秋桜の生育暦

生育暦(4歳前後までは母親から聞いた情報)

1972年(0歳)逆子の上、出生2日前に早期破水。3日がかりという難産の上吸引分娩にて仮死状態で生まれる。助かったのはたまたま破水したのが産院で、両親が会計をしていた時だったからとのこと。父の話だと生まれたとき「顔がどす黒くて、全然赤ん坊らしくなかった」らしい。

退院してからも「泣いてばかりで全然目が離せない、育てにくい子供だった」だったそうで、母はこの頃から「何かある」と危機感を覚えたらしい。

斜頸と側湾があったため、生後半年から11ヵ月まで某療育施設に訓練に通った(転居により終了)。

1~3歳頃笑い声と泣き声以外発声がなく、よくパニックを起こす、こだわりや偏食が強い、母親に異常な執着を見せるといった行動が多かったため、彼女なりに工夫をして接していた。行動の変化はあまり見られなかったが、文字は覚え始めた。母の話だと「頭はいいとは思ったけど、何でこんな行動をするのか全然分からなかった」とのこと。

3歳過ぎても発話がないため、母は独身時代精神分析を勉強していた関係から知り合いの専門家に相談し、週1回家にセラピストを派遣してもらった。新卒だったが非常に熱心な人で、当時自閉症は情緒障害という常識だったにもかかわらず、脳障害かもしれない、という新しい情報も母に伝えていたらしい。4歳過ぎに「ねえ、本、読んで」といきなり発話があり、その後は話すようになったが、半年くらいはしわがれ声だったらしい。

4歳から2年保育で幼稚園に通い始める。通い始めた当時一番衝撃的だったのは、他の子はちゃんと絵を描いていたのに、私だけ殴り描きだったということ。もうかな文字は読めていたので、誰がどの絵を描いたのかも分かっていただけに、自分の絵だけすごく下手くそで嫌だったのは何故か今でも覚えている。その後半年くらい絵を描かなかったが、ある日突然真ん中にやたら大きな向日葵と両端に人の絵(目、鼻、口、耳、髪の毛、腕、手足、胴体)を描いて「ひまわり」というお題までつけたため、周囲の人を驚かせる(何でそんな絵を描いたのかは、本人にも不明)。運動会でも「アヒルのダンス」という踊りを練習したが、「何でこんなバカらしい事をしなくちゃいけないんだ!」と内心不満だらけだった。確かその時に着けるアヒルのお面を運動会の直前に作成したが、他の子がカラフルに塗っている中、近くの公園で見かけたアヒルどおりに口ばしだけ黄色に塗っていた。

幼稚園の年長は担任にも恵まれたが、5月ごろ周期性嘔吐症になり、1月ほど幼稚園を休む。お泊り保育やクリスマス会といった行事もどうにかこなすことができたが、あまり「楽しい」という記憶はない。ただ、この頃転入してきた子と仲良くなり、一緒に遊ぶことができるようになった。

小学校入学を期に親が一戸建てを購入し、転居。これが義務教育期間のいじめに結びつくことになるとは、その時は誰も想像が付かなかった。親も後で後悔したらしい。

いじめはかなりひどい時もあり、何度かストレスから微熱が続き、蛋白尿が出たこともあった。

中学校は月に一度の全校清掃をすると煙草の吸殻が1,500本以上出てくる(全校生徒は500人前後)という荒れた所で、「授業中先生の話を聞かないのが常識」「一割くらいの同級生が茶髪(当時は茶髪=不良だった)」「同級生が休み時間中煙草をふかす」という環境で過ごす。そのため少し頑張れば内申点を楽々稼ぐことができ、高校は地元の進学校(公立)へ。

高校は自主自律を校風にしており、勉強は大変だったが制服すらなかった学校だったのでとても楽しく通えた。

母親の影響で心理学を志し、臨床心理士を目指して某私大の心理学科へ入学。発達心理学と臨床心理学を中心に勉強する。在学中発達心理担当の教官よりある国立の医療関係養成校を紹介され、大学卒業後その養成校へ進学する。養成校卒業半年前にShinyu(館の管理人)と出会い、交際を始める。

養成校卒業後医療機関へ就職し、同時にShinyuと同居を始める。その後、正式に結婚し、現在に至る。

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