秋桜のエッセイ

私が思っていたこと

2004-12-13

中学生か高校生の頃、いつものように親達と言い合いをしていた。ある時母に「私はあなたの奴隷じゃない!」と怒鳴られたが、「奴隷なわけないじゃん。こっちがむしろ精神的には奴隷だよ。」と感じていた。

ただ、母が言った事もあながち間違っていたわけでもない。昔から「やって欲しいことを黙ってやってもらいたいのに…」とよく思っていた。お金に対しても「使い道を聞いていちいち怒らないで欲しい。これはお小遣いだから好きに使っていいって言っているのに…」といつも不満だった。

そこで言い合いに疲れた私が言ったことは「私が欲しいものって打ち出の小槌と何でも言うことを聞いてくれるロボットだと思う…」。もちろん親達はカンカンに怒っていた。特に父は「俺はこんなやつのために、毎日仕事を頑張っていたのか…。療育だってものすごくお金を出してやらせていたのに…」と落胆していた。

もちろんそんなことを言ったら人は傷つくということは当時も知識としてあった。でもそういう配慮もできないくらい、私は疲れていた。思わずポロッと出た本音というものである。

療育の仕事を始めて自閉症の子が私や母親に「言うことを聞いて当然」という態度を取るのを見ていると、「きっと私と同じようなことを感じているんだろうな」と思って苦笑してしまうことがある。当然そういう行動は社会的には許されないことだから注意して行動を修正する練習をするが、必要性を感じていないことはよく分かる。ただそれで苦労することも身にしみてよく分かっているので、「習うより慣れろ」「鉄は熱いうちに打て」という言葉を思い出して接している。

その反面、「私がやっていることはただのお節介なのかなぁ」と悩むことも多い。しかし自分の経験を振り返ってみると、やっぱり言ってもらって良かったことの方が多い気がする。もちろん理由が分かってきちんと対応した上での話である。訳も分からずにむやみに厳しくするのはまた違うと思うし、放置するのはもっといけないと感じている。

以前ある成人のアスペルガー者と話をしていたとき、その人は「私宇宙人だからさ、地球のルールを教えてね」と冗談交じりに言っていた。その時「ああ、違和感を感じていたのは私だけじゃなかったんだ」と思い、以来その言葉を励みに仕事をしている。


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