秋桜のエッセイ

絶対音感

2004-12-16

物心が付いた頃から絶対音感があり、音は全部「ドレミ」と音を伴っていた。小さい頃は姉と一緒にピンクレディーの歌をドレミに直して歌っていた。この様子を見て音大でピアノを専攻していた従兄が驚いて母に「この子達すごいね」と羨ましがっていたそうである。

母は当時流行っていた「鈴木メソッド」という音楽のテープをよく流していたが、もともとクラシック音楽が好きだったため、それ以外のテープもよく聞かせていた。情操教育の意図はあったようだが、特に絶対音感を身につけさせようというつもりはあまりなかったらしい。

しかし下手すると人の声まで音階になってしまうことがあるので、かなり言語音に対しては無意識のうちに気を遣っているようだ。それを証拠に疲れていると日本語がだんだんメロディーになっていき、言葉の意味が分からなくなってしまう。

音階が分かるのは自分にとっては当たり前のことだったし、姉も絶対音感があったので特別なことだとは思っていなかった。むしろ姉の方が音楽を聴いただけでピアノで弾けるので「私って駄目だなぁ」と劣等感を感じていた。私はというと、メロディーを追うのが精一杯で、和音を同時に聞き取るのはせいぜい3つが限界だ。だからピアノのレッスンも調音(ピアノの音を聞いて音符に書き留めていく練習)は苦手だった。

不思議なことに音は分かるのに音符はなかなかスムーズに読めず、音符に関しては読み書き障害のような状態だった。たまたま小学校4年生の時から習ったピアノの先生がそれに気付き、音符のカードを渡してひたすら音と音符をマッチングする練習を課題に出してくれた。すると2ヶ月くらいであっという間に覚えられた。

中学校では吹奏楽部に入ったが、とにかくチューニング(音合わせ)が大変だった。他の人は気にならないらしいが、こちらは正確に合っていないと音の歪みが分かるだけに気持ちが悪くなってしまう。特に夏場金管楽器がみるみるうちに周波数が変わっていくのは耐えられなかった。もちろん数Hzの違いだから普通の人には分からないが、私の耳には「ウワァン、ウワァン」と反響してしまう。

おまけに私の基準音が440Hzなので、高めの基準音(442~445Hz)はキンキン響いてこれまた不快な状態になっている。音が華やかになるので最近オーケストラなどでも高めに設定されているが、「何だか嫌だな」と思っている。

高校以降は高校2年生でピアノをやめて以来特に楽器をやっていないため、純粋にこの能力が活かされているのはカラオケぐらいになってしまった。

この能力がかなり珍しい物だということを知ったのは最相葉月の「絶対音感」という本(ベストセラーになったのでご存知の方も多いかと思う)を読んだ時だった。またこの本で個人差が大きくて謎が多い能力であることも知った。実際スーパーバイズしていただいている専門家にいくら説明しても「私には分からない世界だわ」と言われてしまっている(逆に私はない世界が分からないが)。

自閉症者の中に絶対音感を持っているサバン症候群がいるため、お母さん方から「うちの子には絶対音感があるんでしょうか?」と聞かれることがある。確かに持っている子は何人かいたし、そういう子は音楽好きなことは多い。しかし「歌の歌詞から言葉へは結びつきませんか?」という質問には残念ながらそれは恐らく違うという見解を伝えている。

まず一般的に音声言語の聴覚野は左脳であるのに対して音楽の聴覚野は右脳であり、情報処理する場所が違うことが挙げられる。実際失語症で話すことが困難な人でも、カラオケは歌える人は多い。もちろん子どもの場合は損傷された部分を他の場所で肩代わりすることもあるが、メロディーと音声は性質が異なるため、難しいと感じざるを得ない。実際「象」という単語を知っている子に「ぞうさん」の歌を歌っていくつか並べた絵カードの中から象のカードを取らせるという課題をすると取れないケースが多い。つまり歌詞の「象」と単語の「象」の関係は「同じ」とは認識されておらず、歌詞→単語→意味の抽出が困難であることを示している。自閉症の場合言葉の意味理解が困難なので、歌詞からまず単語を抽出することが難しいという要因も考えられる。言語と音楽-そういう意味では違うものと認識していただいた方がいいと思う。

同時に絶対音感を持っているケースのお母さんには自分の経験から必ずしも持っていてもいいことばかりではないことも伝えている。パニックの原因が音のなるおもちゃの電池が切れかけていて、音程が変わっているという場合もあるからである(これは本当に気分が悪くなる)。

本人が持っている能力を理解した上で対処することは大切であるが、絶対音感ばかりは「ないと分からないもの」なのかもしれない。



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