秋桜のエッセイ

プランニングについて

2005-02-18

以前同時処理と経次処理について書いたら「アスペルガーの館の掲示板」での反響が大きかったので、今回はそれらが日常生活にどのような影響を与えているかについて書いてみたい。

私達の日常生活の秩序は空間と順番という概念で構成されており、学校や会社ではそれらに基づいて学習や仕事をこなすことを求められる。しかし空間や順番の概念を理解する能力に問題があると、情報を整理できずに混乱してしまうことになる。具体例を挙げてみると期限に間に合うように宿題や仕事を終わらせたり、初めて場所で人と会うのに待ち合わせの時間に間に合うように目的地まで行くことが困難になる。

順序に関係する能力にはプランニングという能力が関わっている。これは物事(例えばカレーを作る)を行う際に方略を見つけ、手順をきちんと立てて作業を遂行できる能力のことを指している。例に挙げたカレーを作ることで考えてみると、まずカレーを作る材料を揃えることから始まる。そして食べる時間から逆算して準備(材料を切る、肉や野菜をいためる、水やブイヨンを入れて煮る、カレールーを入れて味付けをする。その間にご飯を炊いておく)をし、でき上がったら皿にご飯をよそってからカレーをかけるという作業が考えられる。日常生活にはこのような作業がいつも存在する。

ところが順序の感覚がないとまず時間の感覚が身に付きづらくなり、日付や時間といった日時に関することばが覚えづらいという状況になる。現に指導していても日時が覚えにくい子ども達は数の増減関係も身に付きづらく、記憶能力に比べて順序の理解能力に落ち込みが見られるケースが多い。そしてこのような子どもだと言語の訓練でも構文や助詞の理解に問題が出てくることが多いし、その結果高次な言語の理解・表出能力にも影響が出てくる。数の多少や時間の概念といった学習も学習の際にも解き方の順序立てができないため、自分が知っている方法をどこに当てはめたらいいのか分からなくなり、自力では文章題などを解くことが難しくなる。

時間割を揃える、朝起床して学校へ行く準備をして出かけるといった基本的な一連の行動も自力では取りづらくなる。先生の指示も大抵は時間軸に沿った説明だから何から手をつけたらいいのか分からず、結果としてボンヤリとしてしまうことになる。

自分で行動する年頃になってくると今度はスケジュール管理に支障が出てくる。限られた時間の中でできることとできないことを見分けて物事を順序良く行うという能力が身に付いていないため、肝心なことが疎かになってしまう。これでは仕事をする上でも不利な状況を生むことになってしまう。言語に関しても論理的に思考することが難しいため、仕事や課題をこなすのに時間がかかってしまい、気が付くと何もできないまま一日が終わってしまうということもあるだろう。

対策としては小さい頃からの意識的な指導が重要になってくる。まず物事に順番があることを写真カードなどで示し、これができるようになってから自分で行動を組み立てる練習を行う。さらに一枚減らしてみて足りないところを考えさせたり、一日のできごとを順番に思い出す練習などをしてみる(時計が分かってきた子どもには時間も合わせて考えてもらう)。さらにある手順(私がよく用いるのは料理など)を一緒に思い出して紙に書いて確認し、実際にその通りの手順でできるのか家でやってもらっている。子どもが文章を書けるようになったらカレンダーなどに次回の訓練日を書いてもらい、宿題を渡して次回までにしてくることをメモに書かせ、ファイルにスケジュールや宿題をはさんで持ってくるよう指導する(この時コピーを取り、忘れた時にも対応できるようにしておく)。次に会った時にメモを出してちゃんと宿題ができたか本人と確認し、不十分だった所は宿題に出している。家族にも本人が順番に関する課題が苦手であることを説明し、取り組みやすい環境を作るよう考えてもらっている。

私自身はスケジュール帳を中学時代から持ち歩き、自分の予定を自分で管理していた。長期休みの宿題も小学生の頃はぎりぎりになってやっていたが、中学生位からはわりと余裕を持って対応できていたし、大学や専門学校でも提出物は早い方だった。考え方のヒントにフローチャートの描き方を心理学の授業で覚えてからは順番に考える手法としてよく用いている。あとはよく「~だったら」「…じゃなかったら」という過程を想定して考えるように気をつけている。

意外かもしれないが、順番に関して役に立ったと思うのは中学や高校の数学と古文・漢文だった。数学はこのレベルになってくると問題から要素を抜き出し、以前に習ったことをどの順番で使うのかを論理的に組み立てていかないと問題を解くことができない。古文や漢文も敬語や表現から論理的に読んでいかないと主語が少ないだけに誰が言っているのか分からなくなるので、論理的に物を考える習慣が身に付いたと思う。

また料理やお菓子を作ることが好きだったことをきっかけに家事に興味があったことも現在の生活に活かされている。大学生の頃から主婦向けの雑誌を読み漁り、色々と「家を出たらこうするんだ」とイメージトレーニングをしていたためか、仕事でヘトヘトに疲れていない限り家事は苦痛ではなかった(もちろんこれは自宅勤務の夫の協力も大きい)。

世の中では色々なことが約束事と手順で成り立っており、定型発達の人たちはこれらを当然のこととして身に付け、生活している。しかし発達障害があるといかんせんこれらの理解がすすみにくいため、日常生活を送る上で大きな壁となって立ちはだかってしまう。どうしても難しい場合は周囲の人の協力を仰ぐ、という究極の解決策を習得するトレーニングも大切かもしれない。


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