支援を受ける側から支援する側へ (その8)(アスペハート20号掲載分)
2009-02-10
その8
1.思春期の始まりと戸惑い
私の中で思春期が始まったと実感した出来事は、生理が始まったことでした。女性の場合、初潮を経験することで自分が「女」ということを意識すると思います。
クラスメートの間でも「あの子も始まったらしいよ」「そろそろブラジャー着けないとだね」といった性に関する話が出てきましたし、宿泊学習の前には女子対象に「旅行中生理があった時にどうするか」といった特別授業がありました。
私は当時大柄だったため、母からも早いうちから対処について教えられていましたが、実際始まったのは6年生の夏でした。
両親は安心して私の好物を作って喜んでくれましたが、正直私としては「面倒な物が始まったな」という気持ちでした。
女性は生理の前後は体調不良になりがちです。私の場合この頃から生理痛などが時折起こっていましたから、「これがこの先何十年も続くのか…」と思って気が遠くなりそうな気持ちになりました。
おまけに生理中は専用の下着やナプキンを着ける必要があります。元々皮膚が弱いため、これがかなりのストレスでした。通気性が悪くなり、湿疹が出てしまうのです。特に夏は困りました。こういった症状はなかなか男性には理解が難しいかもしれません。
こういう面から考えても女性である、というのは何かと面倒くさいことが多く、心の中で「男の子って楽でいいな」とよく思っていました。夫と一緒に暮らすようになってから話を聞くと男性も男性なりに大変なこともあるようですが、心身の負担はやはり女性の方が大きいようです。
発達障害は男性の方が多いので、あまり女性の問題は考えに上らないかもしれません。しかし将来恋愛や結婚といった問題を考えると男性当事者にも知ってほしいことだと私は考えています。
女性との付き合い、というと恋愛や結婚というイメージを持ちがちですが、学校生活を送ったり仕事をしていく中でも異性とコミュニケーションしていくことはあります。
一緒に働いている女性が妊娠などで身体が変化していくことは業務にも影響が出てきます。そこまで行かなくても女性は生理の前後は疲れやすくなるといった体調の変化がありますし、精神的にもイライラしやすい状況になります。その際知識があるかどうかで接し方が変わりますし、具体的な対応のヒントを学ぶことができます。
ただ、この場合女性側もあまり露骨に聞かれても困りますから、身近な女性の相談相手が重要になります。私の場合、たまたま教会という様々な年齢層の人が集まる場所に通っていたことがよかったようです。少し年上の人たちからアドバイスしてもらえたのは色々な視点で物事を考えるトレーニングになりました。
その後も長い間婦人科の症状で苦しむことになりますが、これも女性である=苦痛なことが多いというイメージになっていきました。つまり私には女性であることが必ずしも嬉しいことばかりではなかったのです。年配の人たちというのは女性=子どもを産んで育てることこそが大切という通念を持っている人が多いですが、それにまつわることで悩んでいる人はとても多いと日々の臨床で私は感じています。
そしてこれは女性らしさとは何か、というジェンダーロール(性別に付け加えられた社会的役割)を考える上でも重要な側面を持っていると私は考えています。日本では性同一性障害やLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)といったセックス・マイノリティという多彩な生き方への理解がとても遅れていますし、ようやく注目されてきた状況です。
同時に男性らしさについても「男は仕事をして一家の大黒柱になる」という今までの固定観念をいかに打ち崩せるかが今後日本が発展していくためにも大きな課題になっていくと私は考えています。発達障害関係のオフ会などで当事者にお会いすることがありますが、女性の場合比較的身なりなどに気を配れる人が意外に多いものです。これは「女性は周囲に気を配り、サポートするもの」という社会通念のため、望ましさには疑問を持ちつつもそれなりに社会性のトレーニングがされているためではないかと自分の経験も含めて私は感じています。
ところが男性というのは一般的には「何か一芸が秀でていればいい」ということでこのような社会性へのアプローチを経験していない人が多いのです。そのため家事などができない人も多いし、家事や人付き合いの手間暇を軽視して女性側に配慮ばかり求めることが多いと思います。実際私が管理人をしている「アスペルガーの館」の掲示板でも夫の無理解で苦しんでいる妻からの書き込みはとても多いです。
最近は男女で脳の働きが違う、という本などが出ていますし、よく「男性は人間関係の細かいところに気付かず、女性は配慮できるようにできている」と言われています。しかし生れ付きそうだとしたらなおさら意識して男性にも社会的な配慮ができるような教育システムがあってもいいのではないか、と私は考えるのです。自分の能力を開花させるためにも人とのつながりを意識できるよう、できる範囲で促すことはとても大切だと私は感じています。
かつて日本の社会は家制度であり、その家の中で誰かが出世すれば他の人は自分を犠牲にしてでもそれをサポートすることが役割となっていました。特に女性は自分の気持ちを殺してでも夫や子どもに自分の人生を捧げることが「いい女性」という考えがありますし、今でもマスコミなどを見ているとそういう視点からの情報発信が多く見られます。これは報道現場がとても苛酷であるために男性が携わっていることが圧倒的に多いことも原因であるという指摘もあります。
しかし、今後の社会情勢を考えるとこのような女性が参加しづらい職場環境というものも変えていかなければなりません。私が働いていた医療現場もとても苛酷で女性職員たちは結婚すると妊娠や出産について悩んでいる人が多かったです。そして実際妊娠することで仕事を断念してしまう方もとても多く見られます。仕事を続けていくにも家庭との両立に悩む支援者というのはとても多いのが現状です。
発達障害の現場では子育ての経験というのはとても貴重ですし、子育て以外のことでも人生経験が仕事に活きる面がたくさんあります。その一方で医療技術や理論というのは日進月歩の世界です。たとえ数年のブランクでも大きなハンデになることがあります。復帰を考えている医療関係者がまず最初に悩むのもこの辺りのことが多いのです。
私も働きはじめて現在11年目ですが、発達障害関係でも理論や制度がどんどん変わり、常に勉強している状態です。幸い私はブランクの間も掲示板関係のことで発達障害関係に携わることができましたし、夫という当事者との生活を見直す中で気づくこともたくさんありました。同時にブランクの間にも自分のスキルアップにつながる勉強やトレーニングを始めることができ、復帰後に今までの経験と組み合わせてさらに新しい仕事を始めることができています。しかしこれはかなり恵まれた環境で、かつ夫の理解と協力があればこそできたことです。
多くの人が幸せな生活を送るためにも今の日本の労働環境は変えていく必要があると私は日々感じています。そしてそのためにも個人が自分の意思を持って行動すると同時にお互いの人格と向き合い、相手の立場を尊重し合える関係作りというのがこれから日本が世界と関わっていくためには必要だと思っています。資源のない日本では人材こそが資源であり、世界に向けてコミュニケーションをしていくためには英語といった語学能力と同時に主体的に意思を持って生きる姿勢が問われてきます。
大学時代英会話の授業で自分の意見を言わない学生に対してオーストラリア人の先生が「あなたね、何も言わないってことは何も考えていないってみなされるのよっ!」と英語でまくし立てているのを横で見てビックリしたと同時に「ああ、海外ではこうやって自分の意見を言うことを徹底的にトレーニングされるんだ」と妙に納得したことがありました。その授業は結局6人しか学生がいなくなりましたが、その分徹底的に英語で討論したりプレゼンテーションを行うトレーニングができて私にとってはとても勉強になりました。
具体的には自分の意見を言うためには文献を調べてそれをもとにプレゼンをするのですが、それについてさらに討論し、レポートを出すという作業を週1回、1ヶ月単位で行いました。後で知ったのですがその先生はアメリカの大学でESL(English as a second language:第二言語習得)の学位を取ったような方で、日本人が苦手とする課題を用いながら英語に必要なコミュニケーションスキルを学習させることでは大学でも有名な人だったそうです。
実はこの頃ドイツ語の授業もドイツ人の神父が担当するクラスに在籍しており、彼らの語学を教える姿勢というのにカルチャーショックを受けたものです。外国人の教官たちにとって語学を教えるというのはコミュニケーションの取り方や文化背景をも教えることであり、単にその国の読み書きなどができることではないのです。それはとても真剣で、きちんと予習していない学生のことはそれこそ容赦なく切り捨てていました。その反面予習・復習して本人なりに努力している学生に対してはとことん付き合ってくれましたし、学習法やレポートなどの書き方についても「ここはこうした方がいい」という細かいアドバイスもしてくれました。
そのような授業を通して私は日本で尊重される「沈黙の文化」「空気を読む」ということがいかに海外に人から見たら奇妙に映るか、そしてそれを伝えるのなら事細かに説明しなければ絶対分からないものだ、ということを身体で教えられました。そして今考えると彼らは日本という異文化の中で生活している人たちであり、彼らもそのギャップの中で苦労したはずなのです。日本に何十年も生活してかなり流暢な日本語を話す教官でも合宿の懇親会などでポロリと「日本は好きだけど、日本人のこの曖昧さは何とかならないものか」と私に本音を漏らしたことがあり、異文化で生活する際の苦労を垣間見たことがありました。
また、彼らは日本の女性像とは全く違った性の役割から自由な物の見方や考え方を示してくれました。私はほとんど海外へ行った経験はありませんが、日本の中の外国と言っていいほど国際色豊かな大学で学べた、というのは多面的な視点から物事を考えるいいトレーニングになったと思っています。
現在発達障害自社の支援の仕事をしていて大学時代のこの経験は私にとって大きな意味を持っていたと改めて感じることが度々あります。そしてこの経験の土台になったのが中学生や高校生での体験でした。
これについてはまた少しずつ書いていきたいと思います。
2.金銭との付き合い
以前にも書きましたが私が当事者が成人後自活していく上でキーポイントになるのが物品、時間、お金の管理だと考えています。特にお金の管理というのは働く上でも大切になってくる事項であり、世の中はお金がある意味尺度になっていることも多いのです。
しかし私が支援の仕事をしているとほとんどの子どもたちがお小遣いや自分に割り当てられたお金で買い物をするという経験がありません。つまりお金というものの役割をあまりよく分かっていないままお金を使っている印象があります。
これが思春期以降どのような問題になるか、というと思春期というのは急激に子どもの様子が親に分かりにくい状況になります。言いかえればそれまでは親の目が行き届いていたことで何とかなっていたことも、思春期以降は自己責任の占める割合が急激に高まってくる、ということです。
未成年の犯罪などに関する記事を読んでいると、お金が背景にあるトラブルが原因というものがとても多いものです。今まで手にしたことがない額のお金(例えば大人からすれば1万円は生活費としては少額ですが、子どもからしたらとんでもない大金です)を目の当たりにしたらやはりコントロールが難しくなるでしょう。そして実際使ってしまうと意外と思ったものが買えず、「もっと、もっと」と欲しくなってしまうのです。その時に甘い誘惑があったら、その裏に罠が仕組まれていることを知らない子どもは簡単にその網にかかってしまうでしょう。
お金は大切ですが、それに振り回されないためにもお金というものがなぜあるのか、そしてそれがどういう意味を持つのかを学ぶ機会をぜひつくってほしいと私は常々考えています。日本では「お金の話をするのはいやらしい」という風潮があり、なかなか気軽にお金の話をすることができない雰囲気があります。確かによく知らない人に対してお金の話をペラペラするのは品のいいことではありません。しかし親や兄弟など、ある程度親しい間柄の人とお金について語り合うことが今の日本にはあまりに少なすぎると私は感じています。
私の母はお金について幼い頃から買い物などを通して学ぶ機会を意識して作っていました。4,5歳頃から買い物に行くと「50円(日によっては100円)以内ならいいよ」と言ってお菓子を1つ選ばせ、50円玉を渡しお店の人に「すみませんがこの子が自分で払うので」と言って自分で買い物をさせていました。また「お金を払うまではこのお菓子はあなたの物じゃないから、お店の人にテープを貼ってもらって『お金を払いました』って分かるようにしてもらおうね」「お店の外の椅子の所で食べましょうね」と厳しく伝えていました。
小学校に入ってからは週単位でお小遣いを渡してその中で自分の楽しみに使うようにし、私たちが「足りない」と言うと「なぜ足りないのか?」「今までそれを買うようどのような努力をしたのか?」ということを聞き出し、必要に応じて援助したり「それはお母さんは必要だと思わないから、どうしても欲しければ貯金しなさい」といった対応をしていました。また、中学以降は講習会の学費などについては「そういう大きなお金はお父さんが出してくれているんだから、お父さんと交渉しなさい」と手伝いこそすれ、肝心なところは子どもに責任を取らせるような形にしていました。
今考えると母はルールを明確化し、それを子どもに分かる形で伝えるのがとてもうまい人だったな、と思います。母は「教会への献金に1割り当てなさい。それ以外は好きに使っていいから」と常日頃私や姉には話していました。中学生になると好きな音楽のコンサートに出かけたり、美術館に絵を見に行くために小遣いをどうやりくりするか考えることが増えました。それでも失敗することは多かったですから、母もよく我慢して付き合ってくれたと思うことが度々あります。
高校から大学時代には少しずつお小遣い帳をつける、郵便局や銀行に口座を作るといったことをするようになりました。パソコンを使うようになってからは家計簿ソフトで使いやすいものを導入して収支計算をするようになりました。銀行の預金残高なども今はネットで確認できますから、週に1回ほどの頻度でチェックして家計簿で残高の帳尻を合わせるといったお金の流れを把握する努力をしています。
今はお金の仕組みも電子マネーやクレジットカードなど、以前よりも複雑になっています。親も渡しっぱなしではなく、時折チェックしてお金の出入りを確認することが大切だと私は考えています。そのためにも親も家計簿を一緒につける、「これだけのお金を稼ぐにはこれだけの時間を働かないといけないんだよ」といった時間や手間との関連付けを行うといった工夫が必要だと私は考えています。
私の夫は私と反対に社会人になってからお金のやりくりというのを本格的に行ったようです。しかし一緒に住み始めた頃も「あるだけ使う」ようなことを言う面がありました。私が「それじゃダメだよ。ちゃんと積立貯金をしよう」と彼を説得し、定期の積立貯金を始めました。彼は私が貯金に熱心なことに対して疑問を持っていたようですが、結婚式や家を建てる際にその貯金がかなり力を発揮したので「まとまったお金が必要な時がある。そのために貯金をする」ということを学んだようです。
ただその反面時には自己投資のためにお金を使うことが必要な時もあります。お金を貯めることに熱心な人を見ていると、どうもその辺りのバランスが悪くて「ここで使わないと!」という場面でけちって損をしていることもありますから、メリハリのあるお金の使い方を考える、工夫して使うといったことを親も教えたり示していく必要があると私は感じています。
そうは言っても私も最近セミナーや個人でコーチングをすることが増えてきて自分の仕事に値段をつける、という経験をするようになってからまた意識が変わりました。医療従事者というのは保険診療ではすべて厚生労働省が定めた保険点数で仕事をするため、自分の仕事に値段をつけることはまずありません。もちろん光熱費、人件費、家賃などを考えると保険診療は正直安すぎる値段設定だということは分かります。しかし「さあ、自由に価格設定をしてください」と言われるとこれまた困るもので色々調べたりアドバイスしてくれる人の話を目安に価格を考えるしかないのです。経営をしていく上ではまた個人の生活とはまた違った視点が必要であることを痛感しています。
3 学習内容の変化
中学に入るとそれまでなかった定期テストというものが出てきました。私にとっては数値で自分の理解度が定期的に分かるというのはある意味自分の学習ペースの参考になるのでかなり良かったことでした。教科ごとの先生に学ぶこと自体もあまり抵抗がなかったし、むしろ色々な先生に教われるのは楽しいことでした。しかしこの頃になると学習面で個人差が大きくなってくるため、学校の授業スピードと合わないな、と感じることが出てきました。
分かる部分に関しては今まで通り勝手に教科書を読んで先取り学習をしていたのですが、難しかったのが分からないことを洗い出す作業でした。案外勉強ができる子は普段自分が勉強ができるだけになぜわからないかをうまく説明することが苦手だったりします。反対に勉強ができない子どももまたできないことが多すぎて説明が難しいものです。結局学校の授業というのは平均的な学力の子どもに合わせて行いますから、ばらつきのある子どもにとっては授業に合わせるというある意味別なスキルが必要になるのです。
我が家は高校3年まで「夜遅く子どもだけで外出するのはよくない」という両親の方針で学校外の学習はピアノ以外は通信教育やNHKのラジオ英語講座+必要に応じて長期休みの時に講習会へ出かける、ということになっていました。母がその頃は婦人服の内職をしていたので母がミシンを踏んだりアイロンがけをしていた横で姉と宿題を広げることが多かったのを記憶しています。
最初の1年は「ここが分からない」と訴えることで乗り切っていました。幸い我が家は母も元教師で姉も1学年年上でしたから大体分からない所というのは想像ができます。そこで母も姉も「ああー。そこがつまづいているんだー」と言いながら丁寧に教えてくれていました。しかし内容が難しくなるにつれて母も「さすがに教えにくいことが出てきた」と感じていたようです。姉も3年生になって自分の受験勉強がありますから「今はダメ」ということが増えてきました。
ちょうどいいことに2年生になると数学はとても熱心な先生が担当になって下さり、私はその先生に市販の問題集を解いて先生に渡して添削してもらう、ということを始めてもらいました。これが私にとっては自分のペースで先生たちに指導してもらえて分からない所を分かるまで付き合ってもらえたのでとても助かりました。3年生の時はこの先生は担当ではなくなったのですが、3年生の時の先生が「僕はまだ経験年数が浅いから、ぜひ今までの先生にやってもらうといいよ」ということで特別にお願いして見てもらいました。
この個人指導には母もかなり感謝していて、父母会などで学校へ行くと担当の先生にお礼をよく言っていました。たまたま姉の担任の先生でもあったので、折を見てかなり詳しい事情も話していたようです。
3年生になると国語の先生が「朝日新聞の天声人語を要約して持ってきなさい」と言って下さり、親に伝えたところ「面白そうじゃない。やってみたら?」と言われ、早速要約作りに挑戦し始めました。今までも本が好きでよく読んでいましたが、好きで読むのとは違って要約というのは相手の意図を考えながら文章を読むことになります。また文章の良し悪しを見分ける練習にもなり、これが現在の文章を書く仕事をするためのベースになっています。
このような個人指導は先生たちはクラスメートにも同じように「添削するから持ってきなさい」と言っていましたが、実際に持って行ったのは私を含めて数人だったようで、しかも継続できていたのは私だけだったようです。今思えば先生たちも生徒を理解するためにやっていたこともあったようで、私がちょこちょこ職員室へノートを持って行くことで他の先生たちも「今日もノート持ってきたの?熱心だね」「どんな問題集をやっているの?」と会話を切り出してくれていました。直接担当の生徒ではなくてもやはり職員室へ頻繁に顔を出せばさすがに顔や名前を覚えてもらえるようで、何かの行事で一緒になれば気にかけてもらえました。
振り返ってみると中学校はかなり荒れていた所で、今で言う学級崩壊に近い状態になっていることもありました。それでも何とか通えていたのはこのような先生方の支えもあったからだと思います。このノートの交換というのは先生たちなりの私への「特別支援教育」だったのかもしれません。特別支援教育、と言われるとどうしてもシステムを考えがちになりますが案外こういったちょっとしたことの積み重ねが大切なのかもしれません。
私が中学生の頃よりも今の先生たちは色々な業務で本当に忙しそうにしています。話を聞いていると様々な制度のために資料を作成したり報告書を書くことがかなり時間を割かなければならないために本来の業務にしわ寄せが来ているようです。
雑務をするために事務職の方がいらっしゃるのかもしれませんが、それ以外にも秘書のような業務の手助けをする人がもう少し職場にいてもいいのではないかと私も自分の仕事を通して感じています。医療・教育・福祉の仕事というのは手間暇がとてもかかるでそれを補うにはマンパワーが必要です。しかし今は予算削という目的のために人員削減が行われています。できたら予算配分を見直し、本当に必要なところには資源を投入するといった対策をしてほしいものだと願ってやみません。